海に囲まれた島に住んでいると海はいつも近くにあり、海岸線をぐるりと巡ると観光地だけでなく社会の課題も垣間見えてきます。
セメントを作るために削られる山肌、海を埋めてまで滑走路を作る為に採掘される赤土。戦争時に艦砲射撃の砲弾で穴がいくつも空いたイノー(礁池)、いつかは返還されるであろう基地のある風景。そして日常の何気ない風景。
変わらないと思っていた風景や街並みが大きく呼吸をするように、突然壊され何もなかったかのように更地になり、それでもその建物がどうだったかは、しばらくするとなかなか思い出せない事に気づきます。
日々の暮らしの中で気づいたこと伝えたいこと記憶に留めたいことを沖縄の現代の風景として描いています。
石垣克子
ある渓谷と出会った日以来、その造詣に驚き、ずっと、水について、考えてきました。水は、下へ下へ、何より、下へ向かいます。そのあいだで、すべての存在に、隔てなく、植物に、人に、老若男女、動物に、生命をあたえ、代わりに、穢れを、毒を、引き受けます。そして、誰より下へ下へ。なぜなのだろう。
水は、ただひとつになりたい。のかもしれない。すべての存在と。その一心。海でひとつになるという、一滴の行為から、川という、造詣は生まれ、地球の全生命が育まれる。
愛について、探求してきた10年。水は、地上で最も、愛を具現している存在のひとつかもしれない。水は愛の化身。そう感じて、水を先生に、創作と生活を始め、一年半が経ちました。そして、いま、水を上昇させる力、光の探求を試みています。 石原英介
私は、今回「きぎのひび」と称して、二つの作品を発表します。
「似木絵、どうです?」は、1999年から展開しています。
段ボール製の木の下で、来訪者と話しをして、その人の木を描きます。
描かれた小さな木は、来訪者に渡されます。
描かれた木が、似ているとか、似ていないとか、不思議な会話と感情が生まれ、美術作品にまつわる創造性の主体や私たちのコミュニケーションについて考える試みでもあります。
もう一つは、今回、初披露となる絵画の新シリーズ「Just One Tree」です。
剪定され変形した街路樹を描いたものです。
日々、私たちが目にする様々な形の街路樹は、都市の機能の為に本来の姿を失っています。
それは、現代を生きる私たちひとりひとりの姿かもしれません。
枯れ木ともみえるこれらの木々は、実際は初春の姿を描いたもので、
この後すぐに、新録が萌え始め、少しずつ枝も伸ばし始めます。
これらのことを「希望」と捉えることもできます。
また、これらの描かれた木は、図像的にみると「ひび」割れにも見えます。
鈴木淳
「しあわせ」の言葉が入った展示に、自分が出品作家として、呼ばれるとは全く思っておらず。私の作品から、それを見つけて貰えると考えたこともなかった。
綺麗さと不穏さが両立した状態は、意識していたけれど。
幸せは、全く配慮していなかった。
それは、どこに在るのだろう。
私の作品に登場する「家」「犬小屋」「ウエディングドレス」「カーテン」「日記」「刺繍」「家族」単語で思い描くのは、穏やかな幸せかもしれない。
暖かで愛しい存在は、同時に柔らかで、抜け出せない枠のようにも感じる。
違和感なく過ごす間、そこは居心地のよいところ。
「Are we Happy?」
その問いかけを持つのは、とてつもなく危険な行為ではないだろうか。
好奇心は猫をも殺す。そんな言葉がふと浮かんでしまう。
宮本華子
撮影:島崎智成
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